2005年4月30日 (土曜日)

おばあちゃんの贈り物

それは昨年の初秋だった気がします。

わたしの実家から徒歩20分の場所に住む、母方の祖母が、反物2つぶら下げて、テクテク一人歩いてやってきた! たまたまわたしは実家に居て、突然の訪問に「どうしちゃったの、おばあちゃん!?」母と顔を見合わせた。

叔父夫婦と暮らす89歳の祖母。 気分転換のお散歩でやってきた様子。 妻は夫に従うのが当たり前というような「大正生まれの典型的な日本の旦那」であった祖父と、夫唱婦随で暮らしてきたし、もともと内向的な性格だから、祖父がなくなって25年、今では外出もすることなく、静かに暮らしてきた祖母なのです。

外孫としては、祖母自らが「分けわかんない理由」とはいえ、遊びに来てくれたことは嬉しい限り。 ゆっくりした時の流れの中、お互いの近況報告をする。 そうこうしている内に、祖母が「これね、持ってきたの。 エツコ(わたしの母)が仕立ててもいいかと思って」と単衣の着尺を2本、おもむろに出した。

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日に焼けた大昔の伊勢丹の紙箱にはいった反物。 どちらも織りも染めの技法も産地も不明で、1つはグレーと白の地で、「籠目文様」か「斜め格子文様」に「麻の葉文様」、もう一つは群青色の地色に、赤く小さな花のような跳び柄の摩訶不思議な着尺。 2つの反物の出処を訊くと、部屋を整理していて発見、お祖父ちゃんのお客様から頂いた、という。

わたしの祖父は会社を経営していたので、自宅にもお客様の出入りが多かったという。 お中元だか、お歳暮だか、手土産だったのか、今となっては誰だか分からないご先方が「奥様へどうぞ。」と持ってきた品らしい。 ご機嫌伺いだったのか、糟糠の妻だった祖母へのちょっとした贈答品のつもりだったのか。 「反物をプレゼント」なんて、昭和の時代にはあった習慣なのでしょうか、わたしには未だかつて聞いたことがない話。 
着尺を見て、クールな母は「こーんな地味な柄、誰が着るの? 仕立てても無駄よ。」とつれない一言。 まあ、数十年間「着尺のまま」っていうのも、それなりの理由だからだろうけど…おばあちゃんが可哀想。 
「ママって、冷たいよね~。おばあちゃん、わたしが貰ってもいい? 着付けを習って、着物いろいろ欲しいと思ってから」とわたし。 かくして謎の反物はわたしの所有となったのだ。

年が明け、祖母は年齢的に老衰と認知症の症状がでて、寝こみがちになってしまった。 この4月までに「救急車騒動」が4回。 週単位の入退院を繰り返し、見舞いに行っても、意識があったり、なかったり。 春をむかえ、単衣の着物を準備する時期、3週間ほど前に、呉服屋さんのUママに「仕立て」を頼んだ。 Uママは「地味だけど、さっぱりした感じだから、お家で着るのにいいじゃないの。」と。 「なるべく早く仕立ててくださいよ。 おばあちゃんに見せたいから。」

昨日電話がありました。 仕立てあがったとのこと。 明日、その「おばちゃんの贈り物」を引き取りに行きます。

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2005年4月 6日 (水曜日)

思い出の着物

お花見の待合せ。

K君の今日の出で立ちは着物かな~、なんて期待しつつ・・・
じゃーん、ご登場。
やっぱり?普通(洋服)の格好でした! うーん、残念。

「着物は持っているけど、足袋がなかったから」とのこと。
「今度、白足袋をプレゼントしようかな」なんてふと思う。

桜を愛でつつ、着物についておしゃべり。

「1枚だけ持っている着物は、おじいさんの着物。
『実のおじいさん』じゃないひとの人の物なんだけど。」だという。

一瞬、わたしは「?!」

子供の頃に自分をとっても可愛がってくれた近所の方、
お父さんと懇意な間柄だったので、
K君にとっては「本当のお祖父さん」のような方だったと。

背が高く、いつも着物姿、イナセな人柄だったという。
お亡くなりになって、K君の元にやってきた一枚の着物。

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今日わたしが着ていた着物は
母が若い頃着ていた小紋に、織りの名古屋帯。

着物は洋服ほど、流行に左右されない。、
着物は「仕立て直し」や「着方の調節」がきく。
「良いものは"いい"」という観点でも、生きが長く、代を経ていく。
大島紬なんて、お祖母さんから孫の代まで、着られるという。

着物は家族の間で代々、引き継がれていく。
親族の間柄でなくても、こうやって思い出と一緒にも引き継がれていく。

これがわたしが着物が好きな理由。

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